本日の本:グロテスク

グロテスク

グロテスク

今年に入って、立て続けに桐野作品である。
モチーフは「東電OL殺人事件」とのことだが、実はこの事件、どんなものだったのか記憶の片隅にすらなかった。世の中のどれくらいの人がこの事件を記憶しているのだろうか。
ここ数年は週刊誌も読まないし、テレビも見ない。
新聞は読むけれど、職務上必要な記事と地元の話題くらいしか頭に残らない。
おかげさまで職場の同僚たち(と書いても、現在わたしが最年少、従って全員先輩)が交わす時事ネタには勘で相槌打ってるので、もしかしたらたまに知ったか振りがばれて「こいつ、また適当なこと言ってやがる」ということにもなっているかもしれない。
当然、上述の殺人事件についてもその字面以上のことは全く知らず、桐野作品であることだけをたよりに読み進んだ次第。
個人的には読後感は悪くない。
貴重な時間を費やして読むのだから、自分がいつも判断してる価値観どおりにものごとがすすんでしまっちゃだめなのだ。自分とは全く違う価値観がそこに展開されていなければ、新たな見方を僕に提示してくれる本でなきゃダメなんだ。
事件の当事者たちの手記を連ねてかかれているこの本では、狂言回しの主人公(?)と、超美人のその妹(事件の被害者)、主人公の旧友(事件のもう一人の被害者)、事件の犯人、それぞれの立場でしたためた手記からなっている。
まずは冴えない主人公が一人称で語るところから始まるのだが、なかなか共感をするとか、感情移入できるような人物でない。超美人の妹しかり、旧友しかりである。私的には事件の犯人の手記に共感する部分はあったが、これにしたってそのほかの手記では「嘘吐き」だのと断定されちゃって、いったいどれが正しくてどれが間違ってるなんてとてもいえない。
まさに「みんな違ってみんないい*1」のだ。
「信じられない」と人は無責任に言い放って思考停止しちゃうけど、今の世の中で「理解できないことはほっとけ」ってわけにゃいかんでしょ。事実の方がよっぽど奇天烈だし、ご近所でも訳わからん人死にがあったりするし、そんなことには一切耳も目も向けずに日常を続けていけるほど無神経なご近所がいたりするし。
作者はもっとそんなこと以上に読み解いて欲しい何かをここに書き付けているのだろうが、まあ、僕はこのレベルだな。
神戸の児童殺傷事件のタクマ氏は死刑執行されたし、もう彼の口からは何も聞けないし。佐世保(だっけか)の女児殺人事件だって片方は死んじゃってるし。脳みその数だけ思考パターンがあるってことだけは忘れない。
酔っぱらって書くとめちゃくちゃだ。

*1:山口県生まれの童謡詩人、金子みすずのうたの一節