父帰宅、父はこれから何をして過ごすのか。

これから先、毎日毎日父が自宅にいるのかと思うと不安でならぬ私の気持ちをよそに、母はそれなりにうれしそうではある。
父が入院している期間中は、母も私も、いまの就職先を辞職して父の面倒を見なくてはならなくなるのではないかと考えたものである。
結論としては、父の退院後も従来通りふたりとも勤務を続けることにしている。
息子の私としては不安をぬぐい去ることができない。
一つめの不安は、祖母93歳と二人っきりで仲良くやってくれるのだろうか、ということ。
実の息子に対して、あれやこれやと口出しをしたくなる祖母。それに対してもの凄い剣幕で「よけいなこと、言わなくてもワシは分かっているのだ、黙っていろ」といったニュアンスのことを怒鳴り散らす*1のだ。父にとっては実の母であるだけに、もっとも顕著に甘えがでるのか、そのおこりっぷりといったら尋常じゃない。脳出血をおこしそうだ。
正直言って、失語でワガママでかんしゃく持ちの父よりは、93歳で、足や耳はすっかり弱ったけれども聞き分けてくれて相変わらず我らにお説教をしてくれる祖母のほうが長生きしてくれることを、今の私は切実に願っている。
二つめ。父は、時間さえかければ大抵のことは自分でできるようだが、時おり奇妙なことをしているのが散見される。
これまで発見した奇行は、どれも「ボケ老人なら認知症を煩えばありうる」として済ませなくてはならないようなこと。ことさらとがめ立てたり、下手に諭そうとしてもかんしゃくを起こすだけ。しかし、とんでもない事態を起こしてしまう可能性はとんでもなく高まっている。
出勤しなくてよい日にはできるだけ父の行動が観察できるように気をつけながら持ち帰った残業をしたりはてなダイアリーを書いたりたまには息抜きのために本を読んだりしているのだが、まったく気が休まらない。父は長く農林畜産業に従事していた関係で、弱小兼業農家であるにもかかわらず不必要にハイパワーで高性能な農機具や、一年に数回使うかどうか分からないような木工用工具などが随所に置いてある。トラクター、コンバイン、軽トラックなど、主要な父の愛車の鍵は抜いて私が管理してはいるが、このほかエンジンキー不要の草刈り機をはじめとした動力機械や電気機械がそこここに。ひとつを隠せばあらたな道具を取り出して危険なことをはじめる父。いたちごっこである。
危険な道具に挑むことで、父は自分自身の能力を彼なりに確かめているように思われる。彼なりに頑張ろうとはしているのだ。気持ちは想像できるが、困ったことである。
危険なものに取りかかろうとしたところを取り押さえ「危ないからやめろ」と正面からいっても聞かないし、危険をあらかじめ取り除いておこうとすると、隠してしまっているものに限って「あれを出せ、そのくらいワシがやる」と(いうニュアンスのこと、だろうと思われることを)言い出してかんしゃくを起こしだす。どうすりゃいいの。

*1:父が祖母に対して怒鳴り散らすのは、数年前の脳梗塞(こうそく)症状以降、失語になる前からだったんだけれども。