父の参観日

10月半ばから、父は週2日のペースで介護保険適用の居宅介護サービス施設、いわゆるデイサービスに通い始めた。今日は午後から休暇を取って施設の見学に行ってみた。父を担当してくださっているかたと面会もでき、父の様子を聞いたり、自宅での様子を伝えたり、今後のデイサービスプランをどのように進めていくかについて相談をした。
父が通うこの施設では、利用者が取り組めるプランが何とおりも準備してあり、利用者は好きなメニューを好きなように誰に命令されることもなく主体的に選んで取り組むことができるようになっている。身体障碍者の方や、小さな子どもの姿も見える。比較的若い男性の利用者が多いのが特徴的だ。父よりも若い人も見える。
父の場合は、認知症気味の方や身体障碍者の方に比べれば、喋らなければほとんど健常者と変わらないため、かえって施設での過ごし方にとまどいを覚えてしまうようである。担当者や施設職員に「やってみませんか」などと水を向けられればおとなしく従うというような感じらしい。取り組んでいるメニューも、温水プールに浸かったり、筋肉トレーニング用のマシーンを使ったりと、言語能力の回復のためには直接役立ちそうもないものばかりを選んでいるという。
相変わらず自分が患っている症状を認めたくない父にとって、直接的に失語症状の改善に結びつかないメニューであるため、「いったい何のために通っているのか」という、基本的な部分から納得できていないようなのだ。
担当の方とも話すのだが、父にとってこのデイサービスへの通所が、意味ある物になるのかどうかは分からない。特効薬はないだろうということに落ち着いてしまった。今後もいろいろなプランを進めてみる中で、積極的に取り組む気になる何かをつかんでくれれば良いのではないか、ということで、今後も様子を見ながら手を変え品を変えしつつ長い目で見ていきましょうとなった。
週に5日は自宅で過ごしている彼、むやみと頑張っている。盛んに「見てみろ、ワシはこんなにしっかりいろいろなことができている」というアピールをする。要するに「なんでボケ老人たちと同じ施設でこんなばかばかしいことをせにゃならんのだ!」ということなのだ。
気持ちは十分に分かるが、残念なことに、彼の言葉は誰にも通じないし、彼の行動を見ていても、端々におかしな行為が見受けられる。
プライドだけじゃどうにもならんことがあるのだ、父よ。