「旅する力」、ようやく読了

中学時代に、早熟な友人が「テロルの決算」を紹介してくれた。
実は、本の体裁をしているものといえば教科書と、小学館の学習雑誌、学研の科学と学習、隣の家にあったドラえもんの単行本、あとは読書感想文用の課題図書、学校図書室の本と、わが家にある学習図鑑、それ以外のバリエーションを知らなかった。童話と伝記と図鑑とマンガ、それ以外のジャンルを知らなかった。これは、中学生になってもほぼ変わらぬ認識で、小学館の学習雑誌のほかに、旺文社の学年誌があることを知ったこと、どうやら小学館という名前は小学館の学習雑誌以外には付いていないこと、集英社という会社があるらしく、それは父が勤務しているような「かいしゃ」という組織らしく、仕事はといえばもっぱら本ばかり作っているらしいことを知った。社会というものの存在をようやくちょっとだけ知ったのだ。
高校生の兄や姉を持つ早熟な友人たちは、フォークの燃えかすやニューミュージックといわれた音楽、RCサクセションやアリスや浜田省吾さだまさしやつぼいのりおなど、ラジオの深夜番組でどうやら育っていたらしく、洋楽といわれるものなどについてもいろいろな知識をすでに常識としていたらしいのだった。
ついこのあいだまで小学生だったときには机を並べてくだらないことばかりしていたクラスメイトたちは、詰め襟の制服やセーラー服に着替えたとたんに突如色気づき、ボクが全く知らない単語で会話を始めてしまっていたのだ。
長男として生まれ、隣の家には同世代の子どもがいなかったこと、わが家だけ一件ぽつねんと寂しく建っている一軒家であることなど、文化不毛のわが家以外で過ごすことが少なかった私は、このようなNowなヤングの文化と無縁に育ってしまい、同世代の友人たちとの間にすら共通言語を持てぬままに育っていた。
前置きが長くなりすぎたが、そんなわけで、今でこそ数千冊の書物に埋もれつつ日々の生活をしているけれども、中学生当時は「沢木耕太郎」はおろか「スポーツライター」とか「ノンフィクション」とかそもそも作家という職業が成り立っていることすら知らなかったのだ。
この友人の家には、ほかにも「宝島」やら「びっくりはうす」やら、ロックな雑誌とか始めて見たエレキギターに少女マンガ、とにかく始めて見るモノがたくさんあったことを覚えている。そして、ボクよりもテストの成績自体はずいぶん低かった友人は、おそらくきっと彼のお姉さんが買ったに違いない「テロルの決算」を手に「この本面白かったよ、読んでみる」と突きつけたのだった。始めて読む新たなジャンルの存在に衝撃を受けたものだった。
そしてさらに時を経て、大学生活の1年目も終わりに近づいた春、原付で事故をして入院したその病室に、先輩が届けてくれたのが沢木氏の「深夜特急」1便、2便。このとき、テロルの決算を書いたその人が、深夜特急を書いたその人だということは全く知らず、エキサイティングな生活を淡々と書きつづっていく硬派な文体にしびれまくって、ここから沢木氏の本にどっぷり漬かっていったのだった。

旅する力―深夜特急ノート

旅する力―深夜特急ノート