20余年

大学時代の所謂同窓会を終え、我に返っているところである。
1988年に入学し、初めて彼らに出会ってから20余年、もう、彼らと濃密に過ごした4年間(或いは5年間)よりもずいぶん長いこと職業人として過ごして来たわけだ。それに関してはさほど感慨もない。こまったことに感慨もないほど無為に「昨日と変わらぬ今日」みたいな調子で過ごしてしまったことに恥ずかしさを禁じ得ない。これって成長してないってことじゃないか!
卒業してからだって優に15年は経っているわけで、義務教育期間+高校生活まで含めて12年、さらに大学にもう一回入学したくらいの時を社会で生活してきたのだ。これだけ過ごしているんだから、成長していない方がおかしいのだ。
そんなことを考えながら臨んだ同窓生集合(というほど人数は集まらなかったものの、この)ツアーで、世間の風と人生の辛酸を垣間見ることとなった。同窓会につきものの「アノひとはいま」大会になるわけだが、冒頭、我らと非常に親しい人間が病に倒れて闘病中であることが明かされ、これまた我らと非常に親しかった人間が性別を超越してしまっていたり、非常に親しい人間数人は組織に属さない道を選んだことで金銭的に参加できなかったりという状態であることが発覚した。
特に闘病中のアイツについて、我らにできることはあるのか、何かしたほうがいいのか、アイツは本当は何がして欲しいのか、何かしてやりたいって言う思いはボクだけの思い上がりで自己満足なんじゃないか。単なる押しつけじゃないだろうか、などなどと思い巡らせている。アイツらと出会って20余年、我が祖母96歳との別れの予感(というよりは彼女の場合はもはや予定)も切ないけれど、もっと違ったカタチで切なくてたまらない。