年寄りにふさわしい場所、子供にふさわしい場所、

年寄りと子供は都会で、若くて行動力あふれる世代こそが田舎に住むべきだという論を聞いたことがある。年寄り子供は自力で活動できるエリアが狭いこと、自力での食糧確保が困難であること、非常事態に陥る確率が高いことから、周囲の人とともに群れてすむ方が自然なのではないか。一方、自力で食料が調達でき、危険を回避できる能力と体力も最大となる青年期は、群れを離れて新天地を開拓し、新たな遺伝的な可能性を求めて外に向けて出ていくのが自然なのではないかというのである。そのまま現代人と現代社会に当てはまる訳じゃない。前提となる食料調達の方法が大きく変化しており、七面倒くさいことになっているのだ。自力で田畑を耕せばいいという時代じゃないのだ。

・人は老人になると「人里離れた静かなところ」に暮らしたくなる‥‥というのは、まちがいなんですよね。
どちらかといえば、いつも人の気配のある、にぎやかで便利なところに暮らしたいのです。
若くて元気があふれているときには気づかないような、移動だとか運搬だとかの手間が、いちいち「たいへんなこと」になるのです。
しかも、静かで人がいないということは、無意識で「置き去り」のようにも感じられそうです。

いかにも落ち着いた田舎の一軒家などに、品のいい老夫婦が住んでいましたとさ、なんてのは、ステレオタイプの物語にしかすぎないわけで、現実に老人になると、そんなの、「さみしくて、めんどくさくて、さむくてしょうがない」のだと思われます。
ぼくも、じぶんがもっと若いときには、この気持については、まったくわかりませんでした。
にぎやかで便利な都会にいて、騒々しいテレビがつけっぱなしになっている‥‥。
そんなのが、たぶん、現実の老人の理想の場所なのではないかと思います。
・でも、老人になる手前の年齢では、「静かなところ」が憧れになるんでしょうかね。
ぼくは、いまのところ、山が近くて田んぼや畑に囲まれた京都の家で過ごすのは、たのしみでしょうがない。
クルマを運転したら街にも出られるし、格別な不便もないせいでしょうか。
「ここにいるのがたのしいうちは、まだ若い」

糸井さんの洞察には恐れ入る。おそらく自力でさまざまなモノについて考えて考えて考え抜いてこられた結果がこの認識なんだろう。多くを借り物の判断(=名付けるならばこれが常識か)に依っている私は、またしても糸井氏の積み上げた言葉を借りて調子よく生きていこうとしている。
よく考えなさい→私。