2010年2日目は、わが人生において2回目の葬式お手伝い。世帯主事実上の引退から3年と8カ月、子供はおろかヨメすらも居ない男に対しても、田舎の自治会では家の代表者としての振る舞いを求めてくる。若輩者扱いしてくれる方が正直ありがたいのだが、そうもいかない。大人らしく振る舞わなくちゃならないが、それには経験値が足りなさすぎる。恐らくそれなりに経験はしてきたのだが、その時々の真剣度が全く違っていたのである。今は必死で取り繕っている。
今回、集落としては初めて街の葬儀場を利用することになった。ほとんどすることはなく、すべて葬儀社任せである。楽でいいのだがこんなにルーチンで回しちゃってはたしていいものかと疑問と不安を抱く。集まった近所の方々は口々に「世話がなくていい」とおおむね肯定的なうけとめかたのようだが、最後のお見送りくらい思いっきり周囲を煩わせたっていいじゃないかと一方では思っている。死出の旅路へと向かう故人が、最後にこの世の人たちを葬礼の場でもう一度結び合わせてくれる、縁を取り持ってくれる貴重な機会である。やるのならば通夜だってなんだって派手にしつこくできればいい。精進落としだってこれでもかというほど呑んで呑まれてへべれけにならなきゃいかん。綺麗な葬儀場でおとなしく「車で来たのでアルコールはちょっと…」なんて気取って言ってちゃいかんだろ!
そんなことを考えつつ、昨年できたばかりの小綺麗な葬儀場そばの会議室で精進落とし。早々に辞去しようとしているご近所に向けてそんなことは一言も言えなかった。