Polaroid

亡くなった滋賀の叔父の居宅後始末に出かけたのは先週のこと、亡くなった滋賀の叔父の弟(彼も私にとっては叔父だ。まどろっこしいのでただの「叔父」とする)と、妹夫婦を伴ってアパートの物色或いは形見分け、もしくは形見あさりか。不謹慎な書き方だが、現実にはそうならざるを得ない。なにせ実家を出てから50年もの人生を一人で過ごし、終の棲家としたのだから、その物量は結構なものなのだ。後日届いた後始末請求書を見ると、2人役でのべ4日かかったらしい。大事な物とそうでない物をより分け、車に積み込むだけでも大仕事だった。感傷に浸っているまもなく瞬時に要不要を判断して車に積み込んだのだ。私以外の3人は楽しげに「これも使えるあれも使える」と結構楽しそうにより分けていた。
私はというと、亡くなった叔父が大切にしていたものたちなんだからそれなりに敬意を払って大切に持って帰って使うことが供養にもなるんだ殻などと言い聞かせてはみるのだが、全く物欲を刺激してこないことにむしろ驚きながら、ほかの3人があれこれより分けているのをさめた目で見ているのであった。
結局、私が叔父の居宅から持ち帰ったものと言えば、2台のポラロイドカメラと2足の下駄、それからベランダにおいてあった万力だけ。ほかの3人が選び抜いた品物は、乗り付けたレンタカーの後部座席いっぱいになるほど積み上がった。無くなった叔父の兄である父にも、タンスから選んだ衣装を持って帰った。正しい形見分けとなっただろうか。写真撮っておけば良かったと少し後悔。
持ち帰ったポラロイドカメラだが、フィルムはまだ入手可能なんだろうか。