職場の宴に

昨年度末に所属職場が吸収合併され、1千人超の大組織の一員となってしまった。全く本意ではないが、かといって反旗を翻すほどの器量はあろうはずもない。そんな大きな器のオトコであったならば既に一角の人物としてなにがしかの頭角を現したりしているはずだが、そんなことは微塵も感じさせないあたりがその証左。
大組織に所属することになったことは本意ではないにせよ、そこから外れることについて、現段階では全くそんな心細いことを想像もできない程度の小心者。格好の善し悪しは言わない。済まないけれどもしがみつかせてもらう。
そんな大組織となってから初めての所属部単位宴が行われ、これに参戦した。所属部は70人だか90人だかの人員がいるらしい。部長が一人、その下に課長連中が10人程度いるのかな?この程度の帰属意識しかない社員を抱えている我が組織は不幸だろうけれど、なんとかばれないように所属し続けようとする努力の内の一つが今夜の宴に参戦することだったのだ。最近は長いものに巻かれることを拒むだけのエネルギーはない。そんなことに注力するくらいならば我慢しちゃう派に鞍替えした。
例によって今夜もハンドルキーパーとして参加。ウーロン茶を飲んでたらほかの参加者はいちいち同情してくる。最近は呑まなくても全く平気なので気遣いしてもらうだけムダなんだけど、いちいちあしらうのも面倒くさいのだが。ほとんど面識ない人たちの中で一滴も呑まずにいるのは結構大変。こちらも話題づくりに窮するし、相手も注ぐ物もないので自然と声がかからなくなる。もともと自分から積極的に売り込み攻勢かけるほどの肝っ玉もない。どちらかと言えば私こそ酒の力を借りて何とかしてきたのである。大変に居住まいが悪くて困った。酒がどれだけ人間関係を助けてくれてたかを再認識。少なくとも人間関係づくりには失敗したとしても短期的個人的にはアルコールで気分が高揚するし。
呑まずに宴に参戦してると、出来の悪い我が脳みそですら周囲の人間模様が90パーセント方の音声・映像情報を取り込んで処理しようとしてしまうのだ。呑んでたら(そのうち呑まれちゃったりして)目先の相手しか気にならなくなってしまう。うっとうしい周囲の情報はフィジカルにシャットアウトできる(される?)。呑めりゃどんなに楽ちんだったろうかと改めて感じたのだった。
次回は呑んでいろんなことを忘れることにしようかな。