てなことを書いているにもかかわらず、

現実逃避である。
ちくまプリマー新書である。
ついつい買ってしまっています。

ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)

ちゃんと話すための敬語の本 (ちくまプリマー新書)

橋本治さんの本では、のだが、この本一冊を読んだからといっても、自分自身もいやになるほど、相変わらず「わかってない」。それでも読み続けなくてはおられないのが活字中毒者ってものか。
帰宅後、Amazonの箱に入って届いていた「ちゃんと話すための敬語」を手に取る。
常に「おおむね正しい敬語を使う。使い続ける。それが職場の同僚に対してをも。」を信条としている私。まれに職場の上司から「お得意さんにはもっと気さくに方言でも使ってしゃべれ。堅すぎる。他人行儀だ。」などというアドバイスを受けているのだが、「私の懐に踏み込まれるのがいやなのであらかじめ予防線を張っているのです」なんて正直に言っちゃうとまた角が立つので「はぁ、わかりました」とだけ返答するに留め、見事に全くこんなアドバイスは無視してきている。
橋本氏がおっしゃるように、相手との距離を測る敬語の役割は、自ずと身に付いていたわけである。この距離をしっかりと保つために敬語を使い続けているのだ。
比較的長くつきあっている知人にとっては「いつまでたっても打ち解けねえなあこいつ」と、内心でお感じの向きもあろうが、継続は力なり、である。最近はもはやギャグである。
いや〜敬語って難しい。