自分の本だから

「how to」ものに目がない。その技を自分自身のものにできるかどうか、できたかどうかは置いておくが。
数々の仕事術とか情報処理術とか、手帳術とか、メモ術などを読んでみたなかに、「本は道具だ、どんどん使え、書き込んじゃえ」などというアドバイスがかかれているのを目にする。
実際に、斉藤某さんの「三色ボールペンで読む…」って本も買って読んだし、単純な私はしばらく影響されて読書の時に三色ボールペンを手放さなかった。成果のほどはともかく。
飽きやすいのも私の長所であり短所なのだが、数週間で10冊ばかりはこの方法で読んだであろうか。悪い癖なのだが、すぐに目的を見失ってしまう私。ボールペンでやたらと書き込むことそれ自体が自己目的化してしまい、本の内容そっちのけで、赤・青・緑の三色で購入した決して安くはない本をむやみに汚すことで満足する時期がしばらく続き、すっかり目的がすり替わっていることに気付き、止めた。今でもこの三色ボールペンメソッドは役に立っている。むやみと三色+黒を多用している。上手に使い分けているかというと、それは怪しい。
さておき、書き込むことで「確かに自分の所有物になったよ」という気持ちにはなるのだが、ボールペンで引いたラインが後々まで役に立っているかはなはだ疑問が多いこと、ボールペンをもっていないとき大変困るという現実的な問題に直面したこと、職場の昼休みに延々ボールペンで線を引きまくりながら読むのが恥ずかしかったこと、線を引いている時間すら勿体ないくらい読み進めたい本に出会ったこと(タイトルは失念)など、数々の要因が絡まり合った結果、本の一部に折り目を付けておくことで対処するようになった。
この方法も、誰かの「○○術」系統の本で読んだに違いない(が思い出せない)のだ。私の読書スピードと、あとで古本屋に売りに行くことなどを想定すると、これくらいがちょうど良い。