寂しいことである。

失語症の父、徐々にではあるが回復傾向にある。回復しつつあるとはいえ、様々なものごとに落ち着いて対処できるときと、かんしゃくが起きてしまい正常な言動ができないときがある。
もともと身体能力が高く、機転も利きく男であっただけに、すべてにおいて「できなくなった」という事態は認めたくないのだ。気持ちは想像できる。
プライドだけは尋常じゃなく高い男である。いままで使い切っていた機械なども自分自身でやってみなくては気が済まない。ただし、母や祖母(93歳)や私とともに、同じ作業を横に並んで仲良く行う、なんてことは一切やりたくないのだ。
一緒に並んで同じ作業をしてしまうと、段取りの悪さや不手際がみんなにばれてしまい、ますます頼りにされなくなり、強がったり粋がったりできなくなると思っているようだ。
その代わり、これまで一切手を出すことがなかった家事労働、たとえば洗濯物を干すとか、取り込むとか、風呂釜の掃除・風呂焚きなどを、なぜか率先してやるようになった。父本人は数日に一度しか入浴することもなかったくせに、突如我らに向かって(いまだはっきりとした言葉ではないがTPOを考えると明らかに)「さっさと風呂にはいりやがれ」といったセリフを言い出した。
悲しいくらいに「オレさまはこれだけきちんとできるんだ」というアピールを繰り返すようになった。激しく強がっているのだ。強がって、できる姿をアピールし、「こんなにしっかりできるんだから、いろんな機械(自動車やコンバインやトラクターその他農機具)くらいは運転させろ、大丈夫なのだ」という姿が痛々しい。そんなに強がりながらかんしゃくを起こすようじゃとうてい運転はさせられないのに。
10月半ばに退院して2カ月、このようなだましだましの攻防が続いている。そんな日々。
最近気になるのは、随分上達してきた父の発語の中に、「死ぬ」とか「殺す」などと言った物騒な単語が混ざるようになってきたことだ。
ちっちゃい子どもが、言葉を獲得していく過程でも、下品な言葉を真っ先に覚えてしまったりすることが多いように聞いているが、わが父も同様。「オマエは黙っていろ!」とか「ウルサイ!」「バカ」「クソ」などという罵詈雑言は随分上達してきたが、「死ぬ、殺す」は物騒すぎる。勘弁して欲しい。