稲刈りをせねば

我が町の多くの田んぼのうち、半分くらいは稲刈りを終えているのではあるまいか。
我が家の田植えはゴールデンウィークを過ぎた5月12〜13日だったので、よそよりも1週ばかり遅い。
稲刈りも、おおむねそのくらい遅れで予定をしている。従って、今年は15〜17日の連休になるだろう。
コンバインの調子も見ておかなくてはならないし、刈り取った稲を自宅で乾燥調整するので乾燥機も準備しなくてはならない。乾燥調整が終わればもみすりもしなくてはならない。
それぞれの作業自体に取り付くことについて、決して面倒くさかったりするわけじゃない。むしろ楽しみですらある。一国一城の主気取りだ。父の脳みその具合が悪く、実質的に引退通告をしているようなものだからだろう。
この気分は、昨年の稲作シーズンから。
一昨年は全く稲作など面倒くさくてたまらなかったのだ。
この心境の変化はなんだろうかと考えてみると、実は大変段純な理由であることにすぐ行き着いた。
すべての作業の段取りを、自分自身が決めていくのか、身勝手な父に一切合切命令されてやるのかの違いだろう。
いくら借金まみれでも、儲からなくても、給料をつぎ込んだって手放したくない多くの零細兼業農家の気持ちは、今の私の気持ちとほぼ同様なのではないかと思う。決して欲張っているつもりはないのだけれども、自分自身が目をかけて作っている(という気分になっている)ことが楽しいのだと思う。社会的に大きな影響力を及ぼすことはできないが、たかだか1ヘクタールぽっちであっても、自分自身の力が及ぶことだけで満足できる、それが農業、もとい、零細兼業農家を続けていく上での大きな魅力だと切実に思っている今日このごろ。