こんなふうに出会いたかった

三浦しをんさんの「神去なあなあ日常」を読了。
恐らく14ヘクタールの山林と1ヘクタールあまりの田畑を所有しているわが家。しかしわが家と所有している土地の間にこの小説に描かれているような幸せな関係は存在しない。残念なことである。おそらく近所のお宅でも同様ではないか。そしてこの関係は集落や地域にすんでいる人たち全体と、それを取り巻いている自然環境との関係にそのまま当てはまるのではないかと思っている。
地元に一緒に住んでいる人たちのことをそういう風にしか認識できない私は不幸だ。地元民がこの私の認識を軽く裏切ってくれればよいが、もしも私の認識が正しく地元民の姿を捉えていたとしたら、我が町の大地はもっと不幸だ。
しかし今の世にはこの小説がある。少なくともこの小説に描かれているような人や自然や神様が三重県には居そうな気がする。この小説の登場人物たちが守り続けているものは、少なくとも著者である三浦しをんさんが「価値あり!」と思ったわけで、「ぼくのおすすめ 宮崎駿」と自筆で書いた宮崎駿さんも「価値あり!」と思っているっていうことで、この本が売れて、楽しく読まれる限り世間は確かに「価値あり!」って判断しているってことだ。
我が町の皆さんが、我が町の自然に対してどうでもいいと思っているわけではない。我が町の人たちだって、恐らく全員が、小説の舞台である神去村で取り組んでおられるような仕方で林業や農業に携われるならばどんなに幸せだろうかと思っているに違いないのだ。きれい事だけでは我が町の風土に対峙できない。これが現実なのであった。
私にとって、ユートピアが描かれた楽しく羨ましく妬ましくやがて寂しい空想小説であった。

神去なあなあ日常

神去なあなあ日常