宴に素面で臨む私に同情など必要ないのだ

職場横断的な宴会に出席。今日もアルコールは抜き。かつて散々一緒になって酔っぱらっていたメンバーたちから同情されるのだが実はそれほど痛手には感じてないし、彼らの姿を見て「うおーっ、我慢できない!」ってなことは一切無い。すがすがしいほどに。久しぶりにカラオケスナックに付き合ったが、実のところボックス席に素面で居るのは辛い。カラオケが辛い。聞くのも、歌うのも。歌わなかったし、聞いてもいなかったが。結局誰の前ならココロが許せるのかということなのかもしれないなと今は思っている。明日の私の気持ちはわからないけれど、今はそう思う。アルコールの力さえあればいつでもどこでも誰にでもTPOをわきまえずに不用意に無防備になっていたから。でも、それって今の私には必要ない。ボックス席に座りながら周囲の愛すべき酔いどれたちの去就を眺め、同時に雑音でしかないカラオケの音量の元、我がココロの動きにだけ耳を澄ませてみたりして。結果的にそこそこ身勝手に楽しい時間を過ごすことはできた。
出席して良かったじゃん。