今からならばなれるかも

長く積ん読状態にあった「ぼくは猟師になった」をようやく読了。

ぼくは猟師になった

ぼくは猟師になった

20年ほど前、我が家に紀州犬の雑種が迷い込んで居着いたことから、父はイノシシ猟をするようになった。当時は無許可無免許だったが、その後猟銃の免許を取得し10年あまり我が家の愛犬とともにイノシシ猟にとち狂っていた時期がある。狩猟解禁ともなれば夜な夜な狩猟談義が繰り広げられ、数日に一度は我が家の車庫にはイノシシがぶら下がり解体されていたものだった。今は昔である。
その当時は、飲酒運転も今ほど厳しくとがめ立てされることも無く、この本にもあるように、父の元に猟師の皆さんが集っては連日狩猟の成果を囲んでは宴が繰り広げられていた。基本的に宴好きな私も加わって、実際には猟などしたこともないはずなのに、連日の狩猟談義に加わるうちにすっかり耳年増になってしまった。
その後父は脳梗塞(こうそく)で倒れ、猟犬の血を引く愛犬も老衰で我が家を去り、食卓で失語症の父を囲んでも、かんしゃくを起こすばかりで全く楽しく笑顔で過ごせることも皆無。返す返すも残念であるがしかたない。
この本の著者が経験し、書き下ろしていることの六割五分くらいは我が家の車庫でイノシシ解体中の猟師から教わったように思う。先に書いておけばよかった。まあ、著者と違って実践を伴っていないので全く説得力は無いのだが。
近い将来、農業と狩猟で生活できたら楽しいだろうなと漠然と考えてみる。こちとらずぶの素人ではないのだ。少なくとも狩猟に関してはそんじょそこらの一般peopleよりは耳年増である。高望みさえしなければ、コメと野菜、山野草プラス狩猟の獲物でカロリー自給率だけは90パーセントくらい確保可能なのではないか、現金収入の道は全く思いも寄らないけれども。読み終えた本を横に、持てる知識とこの本にある記述をもとに実践してみたい欲がふつふつとわいてくる。就寝を前にこんな夢想をするのが楽しい。