いい本、悪い本、どうでもいい本

空気を読むな、本を読め。 小飼弾の頭が強くなる読書法 (East Press Business)

空気を読むな、本を読め。 小飼弾の頭が強くなる読書法 (East Press Business)

読了。活字密度は低い。一文字あたりの単価は高く、必然的にワンセンテンスごとの単価も高い。ここで単価と書いているのはいわゆる売値のことで、費用対効果のことではない。そう言う意味では、1冊あたりを読み終える時間が非常に短くてすむこの本のお値打ち度は全く測れない。『小飼弾さんのエッセンスがサクサクと手に入ります。それは、金銭では決して測れないほどの価値です』(by勝間和代氏の腰巻き推薦文より)だって?まあたしかにウソではないけれども…。
これが映画だとすると「え、上映時間30分?でも2時間30分の超大作といっしょで1800円なんですね、ええ仕方ありません見ます見ますお支払いします」という感じ。映画館をあとにした私は無理矢理こう考える。「30分で何を読み取れっていうの?眠っていた訳じゃないけど諸手を挙げて大絶賛できないのはボクの理解力が足りないの?わからなかったボクが悪いの?」と自分の至らなさを攻めはじめてしまう。
いい本か、どうでもいい本か、悪い本か、というのはきわめて主観的な問題だ。著者の小飼氏は「フィクションを人に勧めるのは、とても難しいもの」と書いており、私もその通りだと思う。好き嫌いはわからない。ノンフィクションであっても薦める相手方のリテラシーによってはある程度このことが当てはまる。いい悪いの評価には、常に「今のその人にとって」という枕詞がいるのだ。
はたして小飼氏の著作、私にとっていいか悪いか。