書物のコストパフォーマンス

一般的な書物の費用対効果ってどのような物差しで測るのが適当なのだろうか。その本に取り組む前とあとで、どれほど主体が変容したか、その飛躍の度合いで計るのが良いのではないかと考えた。小飼氏の著作を読んだから考えてみたのだ。
読み終えてとてつもなく感動した、とか。尋常じゃないほど心拍数が高まったり、深い谷底に突き落とされたり、無限の宇宙と同化したり、現代社会に激しい憤りを覚えたり、読み終えた直後総理大臣を志して艱難辛苦の道をすすみはじめちゃったり、軽はずみにFX投資に手を出しちゃったり、いきなり出家しちゃったり、とか。社会通念上の善し悪しとかプラスマイナスとかあるだろうけれど、読み終えたあとに行動を起こしたり実際に行動を変えてしまったり、さらにその人の行動パターンを一生に渡って変容させるほど劇的な効果を上げるような読書体験があったとするならばその本のコストパフォーマンスといったら尋常じゃないというわけだ。この意味では、読書はまさに居ながらにして出るココロの旅である。書物を通じて見知らぬ過去の誰かと会い、行ったことのない、行けるはずのない地にたどり着ける。(もしくは会ったり行ったりするための行動を起こすきっかけになる)
こと私にとっての『いい本』はなんだったのか。(今現在の)記憶では三冊ほどしか(思い出せず、書き出せ)ない。幼少期に幼稚園でやなせたかしさんの「やさしいライオン」を手にしたこととか、学生時代骨折入院していた時に差し入れてもらった沢木耕太郎さんの「深夜特急」、アルコールや本を自前の稼ぎでまかなうようになったときに買った「今夜、すべてのバーで」などであろうか。
やさしいライオン (フレーベルのえほん 2) 深夜特急〈第一便〉黄金宮殿 深夜特急〈第二便〉ペルシャの風 深夜特急〈第三便〉飛光よ、飛光よ 旅する力―深夜特急ノート 今夜、すベてのバーで (講談社文庫)
「やさしいライオン」に出会った私は、おそらく物心ついて初めて能動的に『本』という体裁のモノにかかわろうとし始めた。
深夜特急」については、引きこもり気味の私に語れることはあまりない。しかしたしかに旅に出てみたいそのときは強く思ったし、その後も思い続けていることだけは事実である。未だにここにこんなことを認めるほどに影響が及んでいるのである。これが証拠である。
「今夜、すべてのバーで」は、身体の有限性、この世の無常について考えるきっかけとなった。だれでもないオリジナルの自分の選択が自分の人生を決めていくことについて、観念しはじめたのはこの本やその他の中島らも著作に触れて以降だと思う。だからといって自分の行動を変えようという気にまではならず、「まあ仕方が無いやこんなおいらが選んじゃったんだもんね」とアルコールに耽るようになった。マイナスの行動変容を引き起こしちゃったのかもしれない。
プラスにせよマイナスにせよ、千数百円と数時間で読者の人生に変容を起こしてしまうような本と出会えたらならば幸いである。
でも、本読んで引き籠もっている(か、引き籠もって本を読んでいるか、どっちでもいいけれどそんな引き籠もっている)よりは実際に生身の人と会って、影響し合う方がもっと何十倍も生産的なんだけれども、そのことは自覚しておいでだよね、おまえさん。と記しておこう。
さあ、出かけよう。