仏壇仏具

3月半ばに叔父の葬儀を出して以降、父の神仏礼拝行動がエスカレートしている。脳梗塞(こうそく)で倒れてからこちら、突如信心深くなった(ように見える)父。花芝と榊を欠かさなかったりと、朝な夕なにロウソクを点し線香を上げたりと、傍目には丁寧で信仰心の厚い見上げた行為なのである。我が家にもともとある仏壇と、祖母の四十九日まで飾っておく祭壇と、裏山に作った永大墓の石灯籠と線香立てなど、あらゆる所に毎日二度三度とお参りしてくれている。
しかしそこには大問題があるのだ。
ロウソクの火を消し忘れる。とにかく仏壇を明るく演出したいのか、ロウソク立て以外のおかしな所(線香立ての中とか)にロウソクを立てる。線香が傾くなど、彼の信心のおかげで私と母は日々のひやひや。困ったことに我ら身内がいくら朽ち酸っぱく「火の始末を重々きをつけてくれ」と懇願しても「わかってる!」と激高し一切聞く耳を持たない。危険回避のため、せめてマッチやライター、ロウソクの置き場所と一個所だけにしておいたところ、よくわからぬ日本語で「あそこにもここにもそこかしこにマッチライターロウソク線香一式を置いておかなくちゃ行けないんだ!」というニュアンスでまたしても激高してしまう。私が散々ライターなどを隠しまくっても、母に命じてホームセンターに連れて行かせ、ちゃっかり火の元を購入して帰ってしまう。いたちごっこである。店に連れて行かなけりゃこれはこれでまたしても激高。結局母や私が折れざるを得ない状況。

なんとか火の元の心配だけは回避したい。そんな思いから、母は出かけた先の仏具屋で電池式LED式の線香もどき立てとロウソクもどきを購入して帰ってきた。とにかく仏壇祭壇に明かりさえともせれば父もそれなりに納得してくれるのじゃないかという苦肉の策である。これは冴えてる!母は父に向かってスイッチの入れ方切り方を丁寧に教えていたので、これにて一件落着だ。世間には同じように悩みそれを解決しようとする人がいるのだと思うとなんだかものすごく安心して眠りにつけたのだった。
そう思った翌朝、マッチライターロウソク線香一式を取り去った仏壇に面した父は、火の元が見あたらない仏壇に、祖母の祭壇から火の元一式を移動させたうえご丁寧にLED式の線香ロウソクの先端に火をつけてしまったのである。これには私も母も呆然。こんな行動をするとは我らの想像力が至らなかった。正直かなりのショック。父の衰えぶりをこんなカタチで目の当たりにするとは。
幸い大事には至らず、LED製品だけに先端が燃えてしまっても相変わらず(見た目ずいぶん寂しいが)ともり続けてはくれているが、どうもスイッチの入り切りが直感的ではないのだ。線香立てはともかく、電気式ロウソクもどきは、炎の先端部分を押してスイッチを入り切りするデザインになっているのだ。本物のロウソクに似せてあるだけに炎の先端部分に指を持って行くのはデザイン的に失敗なのだ。特に父のような初期の認知障害者には酷であった。
父と母と私への見せしめのため、これで父が懲りてくれはしないかと期待しつつ、この便利仏具はそのまま叔父の仏壇に供えっぱなし。困ったことに祖母の祭壇にはいまだ弔問客がお越しなので本物の火の元を撤収することはためらっている。これも便利仏具に換えておいた方が良いのだろうか。まだまだ毎週お坊さんも来るというのに。どうしよう。