ご近所のお宅で不幸があった。今夜6時から通夜、明日12時から葬儀となり、私も世話組の一人として受付に立つこととなる。
田舎にきちんと住まう農家の端くれとしては、葬儀だろうが何だろうがこれも百姓が百姓として生きていく上で担うべき百の仕事のひとつであると思っている。そういう意味では、葬儀社に任せっぱなしではなく、地域の人たちの中に有形無形の文化として葬送の儀式が組み込まれている田舎町住まいは悪くないかもと思っている。
とはいえ我が家もそうであったように、思ったほど地元民が出しゃばってやる葬儀は廃れている。実際には多くの段取りを葬儀社任せにしてしまうのではある。
弔いの儀式まで分業してしまう必要はないんじゃないかという気がしている。葬儀のたびにご近所の手を患わせるのは確かに心痛ではあるが、何十年も世話になった人を見送る儀式なんだし、人の生き死により大切な仕事なんてこの世にあるのかと思っている。(私も含め、なんだかみんな仕事が忙しいという。そんな大変な仕事ならもっと求職中の人たちと仕事を分かち合えばいいじゃないかと素朴に思っている。)
さて明日は粗相のないように気をつけよう。