板東眞砂子作品を読む

よいとかわるいとかの前に、厳然としてそこにあるものとか起こっていることがらを丹念に記していくということの大切さを改めて感じた。彼女の作品がフィクションであっても、である。
昔話や昔語りには善悪の判断を超えた知恵が塗り込められているからではないかと思っている。異常なまでに理不尽な物語や、全く救いがない話もある。ちょっと小ずるかったり無茶があっても結果オーライだったり。インプットとアウトプットで帳尻が全く合わなかったり、バランスが悪かったり、そんなへんてこりんな話が好きである。落語ならば黄金餅あたりか。
祖母がたまに語ってくれていたよく分からぬ昔話もこのたぐいである。始まりもなければ落ちもない。娘時代にカネボウの工場に何年か勤めていた話は特に好きだった。
大正後期から昭和初期にかけてのデモクラシーの時代で、ウブで不細工だった祖母は人一倍働き者だったと自称しているが、勤め先のカネボウで大規模なストライキが起き、何がなにやら分からぬままにデモやストに参加して枕だけもって働きもせずにみんなで合宿みたいに寝起きをしていたという。カネボウの工場っていったいどこなんだろう。
さらに祖母が幼少のみぎり、近所の子どもと遊んでいたが一人ほど行方不明になってしまった神隠しの話もおもしろかった。もちろん落ちはないが。
働き者の祖母は、ミカンもぎの出稼ぎに行ったり、季節労働者としていろんなところに出かけていたらしい。宮本常一の著作などとつきあわせながら聞いたらずいぶんとおもしろい話が引っ張り出せただろうに。
言葉を失ってしまった今ではもうむずかしいかもしれない。こんな話も聞けなくなるのかと思うと本当にもったいない。

パライゾの寺

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