まず「怒る」という戦略

脳梗塞(こうそく)の後遺症で、高次脳に機能障害が残り失語症となった父、倒れて以降の父は、他人様との接触戦略に、まず怒ることを最優先させてるような気がする。
「ワシが思ってることと違う」ということなんだと思われる。
彼が想像していた手順と違うことをしたとき、彼が思っていたリアクションではなかったとき、母や私が発した言葉の端に何らかの指図めいた物言いが感じられたとき、などである。
年を取っていく課程で多くの人は起こりっぽくなるとはきいている。それは、老化に伴う脳機能の変化によるものだということを聞いた。恐らくそれもあるだろう。ある面で仕方のないことだと思う。
問題は、怒ったあとのこと。わが父に限定すれば、怒ったあと自分自身で自分自身を振り返ることがないから、全く反省の色もなければ悪びれることもない。なんせ「ワシだけがこの世で正しいことを言っている」くらいに思っているような人だから。
現実問題として、父は怒っている自分自身をなかなか客観的に見ることはしていないようす。

1.? 俺はカッと来ているけれど、それほど大切なこと?
2.? 俺はカッと来ているけれど、怒らなければならないようなこと?
3.? 俺はカッと来ているけれど、自分で直せること?

上述されたようなフィードバックが働けばいいのだが、そもそも怒りを静めようなどさらさら考えてないんじゃないだろうか。